亀山の仇討物(読み)かめやまのあだうちもの

改訂新版 世界大百科事典 「亀山の仇討物」の意味・わかりやすい解説

亀山の仇討物 (かめやまのあだうちもの)

人形浄瑠璃歌舞伎狂言の一系統。1701年(元禄14)5月9日に伊勢亀山石井半蔵・源蔵の兄弟が父の仇赤堀水右衛門を28年ぶりに討ち果たした話は〈元禄曾我〉といわれて有名だった。これを脚色した浄瑠璃は,大坂では《道中評判敵討》(1段。1702年竹本座初演。近松門左衛門作という説がある),近松半二作《道中亀山噺》(8段。1778年7月北西の芝居初演),司馬芝叟作《敵討優曇華亀山(かたきうちうきぎのかめやま)》(1794年10月竹本岡太夫座初演),江戸では三冬庵自在作《往昔模様亀山染(むかしもようかめやまぞめ)》(11段。1770年4月肥前座初演)があり,歌舞伎に影響を及ぼした。大坂の歌舞伎では《勢州亀山敵討》(1728年7月中の芝居初演),近松徳三作《敵討千手助護剣(かたきうちせんじゆのすけだち)》(1790年8月中の芝居初演),江戸歌舞伎では《亀山の敵討》(1752年5月市村座初演),初世桜田治助作《楓錦亀山通(もみじのにしきかめやまがよい)》(1776年9月市村座初演),同《傾城吾嬬鑑(けいせいあずまかがみ)》(1788年2月中村座初演),初世瀬川如皐作《花菖蒲文禄曾我(はなあやめぶんろくそが)》(1794年5月都座初演),4世鶴屋南北作《霊験曾我籬(れいげんそがのかみがき)》(1809年4月市村座初演),同《霊験亀山鉾》(1822年8月河原崎座初演),《藤川船𦪌話(ふじかわぶねのりあいばなし)》など次々と脚色上演された。若党の忠義やその一族貧苦など見せ場が多く,通し狂言に生命がある。近代では2世市川左団次や前進座の上演が話題になった。
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