南屋井村(読み)みなみやいむら

日本歴史地名大系 「南屋井村」の解説

南屋井村
みなみやいむら

[現在地名]糸貫町屋井やい

小弾正こだんじよう村の北に位置し、根尾ねお川東岸の標高約二二メートル前後の緩傾平野に立地。八井・屋居とも記した。元亨元年(一三二一)六月二七日の関東下知状(秋山喜十郎氏所蔵文書)に美濃国饗庭東あえばひがし庄内屋井郷がみえる。土岐国清は、同郷地頭職を土岐光行が得て以来代々土岐氏が領知し、この間領家方検注はなかったと主張したが、年貢対捍を続けた同氏は領家方雑掌に訴えられた。幕府は弘安二年(一二七九)土岐国綱(国清父)の時の和与状を根拠に領家方検注を認め、かつ年貢未進をやめるよう命じている。天正年間(一五七三―九二)と推定される年欠四月六日の一柳末安書状(安藤鉦司氏所蔵文書)によれば、豊臣秀吉家臣一柳氏が当地を領しており、真桑まくわ用水路を従前のごとく掘るよう命じた五ヵ村のうちに「南やい村」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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