南朝夷村(読み)みなみあさいむら

日本歴史地名大系 「南朝夷村」の解説

南朝夷村
みなみあさいむら

[現在地名]千倉町南朝夷

北朝夷村の南に位置する。同村との東部境を川尻かわじり川が流れ、東は海に面する。川尻川は源流大井倉おおいぐら渓谷に発し、当地中央部を約一里にわたって曲がりくねって流れ、北朝夷との境で海に注ぐ。源流からの距離のわりには谷が深く、一部には段丘を形成する。

北朝夷村とともに室町―戦国期の朝平あさひな(朝平南郷)の遺称地。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録にみえる南朝平南みなみあさひな村が当村に当たり、高五〇八石余、うち田方三八二石余。里見氏給人領。正保郷帳には南朝夷村とあり、田高四〇一石余・畑高一五九石余、旗本田中領(寛永一〇年から)。ほかに円蔵えんぞう院領五石(朱印地)。田中家領は元禄一五年(一七〇二)上知されて幕府領となり、宝暦元年(一七五一)に至ったとみられる(「寛政重修諸家譜」、元文村高帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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