千倉町(読み)ちくらまち

日本歴史地名大系 「千倉町」の解説

千倉町
ちくらまち

面積:三六・六四平方キロ

安房郡の南部に位置し、北は丸山まるやま町、東は太平洋、西は館山市、南は白浜しらはま町に接する。東の海岸線を南北に国道四一〇号が走り、同線沿いに北から、古くからの漁業集落である白子しらこ瀬戸せと北朝夷きたあさい・南朝夷・平舘へだて忽戸こつと川口かわぐち平磯ひらいそ千田せんだ大川おおかわ白間津しらまづの各集落が連なり、町の北部を東流する瀬戸川の流域から房総南部丘陵にかけての地域に川合かわい久保くぼ宇田うだ牧田まきだ川戸かわと大貫おおぬきの集落がある。瀬戸川は大貫小松こまつ地区を源流とし、同川に流入する枝状谷の谷津田と下流域に展開する砂丘列間の低地水田が形成され、砂丘列上には畑と集落が連なる。南朝夷の大井倉おおいぐら地区を源流とし、南・北の朝夷境を流れる川尻かわじり川も谷津田の水源になっている。南部地域は房総南部丘陵の最高峰高塚たかつか山の麓の北東から南西にかけて海食崖があり、それから太平洋にかけて海岸段丘となり、田・畑・集落が発達している。瀬戸川河口の両岸には波食岩礁海岸と砂浜海岸とがある。瀬戸川流域では縄文時代・弥生時代の土器をはじめ土師器須恵器が出土し、また散在している。

古代には朝夷郡健田たけだ郷に属し、平城宮跡から養老六年(七二二)の「安房国朝夷郡健田郷」、天平一七年(七四五)の「上総朝夷郡健田郷」と記された木簡が出土している(天平一七年には上総国に併合中)。木簡は調の付札で、鰒(鮑)を納めている。これらの木簡が出土したことをうけて、昭和四九年(一九七四)から瀬戸川流域の調査が続けられているが、健田郷解明の手掛りはまだ得られていない。「延喜式」神名帳の朝夷郡には四座が記され、うち下立松原しもたてまつばら神社と高家たかいえ神社は当町の同名社に比定される。下立松原神社には源頼朝にまつわる伝説があり、和田義盛の子朝夷名三郎義秀の伝説も朝夷地域に残る。南北朝期以降の当町域は朝平あさひな(朝平南郷)とよばれ、鎌倉公方足利氏の御料所であったが、関東管領上杉(山内)氏に与えられた。里見氏の安房入国後は同氏の所領に組込まれ、江戸時代初期に及んだ。

慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録によると、当町域には一七村があり(一村は正保郷帳成立時までに二村に分立。うち一村は現丸山町に属する)、元禄郷帳・天保郷帳でも一七村。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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