南条山
なんじようやま
阿野郡南条の山分からきた地名と考えられ、羽床上・西分・東分が含まれる現綾上町西部一帯に比定されるが確定はできない。康永四年(一三四五)七月一七日の足利直義下知状(伊東文書)によれば、南条山西方地頭職は貞応三年(一二二四)以前から伊東貞祐(証観)の先祖が相伝してきたが、建武四年(一三三七)亡父が恩賞として拝領したとする守護細川顕氏の被官宇佐美又三郎に押領されたため幕府に訴えていたのに対し、直義は伊東氏の正当性を認める決定を下している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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