日本歴史地名大系 「南桑村」の解説 南桑村なぐわむら 山口県:玖珂郡美川町南桑村[現在地名]美川町大字南桑玖珂郡の北部、山代(やましろ)郷の南部に位置する。北は下畑(しもはた)(現美和町)、波野(はの)(現本郷村)、小川(こがわ)の各村、南は岩国藩領の天尾(てんのお)・二鹿(ふたしか)(現岩国市)の両村に接する。全村山と谷で平地がなく、村内やや南を錦(にしき)川が東流する。萩藩領で奥山代宰判に属した。村名は「大永ノ記録」(「山代温故録」所収)に河内(こうち)郷の属村として「南桑」とみえる。「注進案」にも「当邑往古、庄内六郷七畑の時は、七畑の内河内邑に属し、彼村岩国御領と成りては根笠邑に添、其後三十三ケ邑と御引分之節、一村立ちと成りて南桑村と唱へ候」と記す。しかし慶長五年(一六〇〇)の検地帳には「南桑村」が出るので、一村として独立したのは慶長以前と思われる。村内の小名は四〇ばかりあったが、それを伊田川(いだがわ)・足谷(たるや)・貸川(かしかわ)・久保(くぼ)・椋野(むくの)の五組に分け、五人の畔頭が分担した(注進案)。山代郷の諸村は村高の重圧に苦しんだが、南桑村も例外ではない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by