南桜村
みなみざくらむら
[現在地名]野洲町南桜
三上村の南、三上山と桜山(菩提寺山・野蔵山)との間にある。北東は北桜村。野洲郡の南東角にあたる。桜山北西麓に密集する集落の前面に広がる耕地には近年まで条里地割が認められ、北境を大山川が西流する。南部の野洲川沿いの耕地は河川敷を開発した新田で、三上村の耕地と共通する規則的な細長い短冊形の地割をしている。元暦元年(一一八四)の「近江国注進風土記」にみえる野洲北郡の「桜村」は北桜村・南桜村辺りと考えられる。寛正三年(一四六二)四月二六日、延暦寺衆徒法光秀運は、勝部(現守山市)香庫坊真賀から南佐久良保を永代買得、文明七年(一四七五)七月二七日に他の所領ともどもその安堵を幕府から受けている(政所賦銘引付)。天文五年(一五三六)一〇月付の三上社公文所納日記(御上神社文書)には南佐久良井の名がみえ、公文所より川除人足が出されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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