南淵弘貞(読み)みなぶちのひろさだ

改訂新版 世界大百科事典 「南淵弘貞」の意味・わかりやすい解説

南淵弘貞 (みなぶちのひろさだ)
生没年:777-833(宝亀8-天長10)

平安初期の官人で法家。もと坂田朝臣弘貞。父槻本公奈弖麻呂は803年(延暦22)坂田宿禰,813年(弘仁4)坂田朝臣と賜姓された。弘貞は816年従五位下となり,823年南淵朝臣の姓を賜る。825年(天長2)参議となり,831年従三位に昇った。833年《令義解撰定に加わり,殿上で新撰令釈疑義起請を校読した。しかし,同年9月,参議刑部卿従三位で没した。《経国集》に詩を残している。
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朝日日本歴史人物事典 「南淵弘貞」の解説

南淵弘貞

没年:天長10.9.19(833.11.4)
生年宝亀7(776)
平安前期の公卿,学者。大和守坂田奈弖麻呂と槻本老の娘の長男。才能を認められ若くして文章生となり,淳和天皇の東宮時代の学士,宮内卿,刑部卿などを歴任,天長8(831)年従三位。この間『経国集』の編纂に加わり,自身の詩も採られている。『令義解』の選者のひとり。もとの氏姓は息長真人といい,一時期母方の槻本公を称したあと父方の坂田となり,弘仁14(823)年12月弟の永河と共に改姓が許された。『文徳実録』には「父の先志」を陳べて賜ったとあり,改姓は宿願であった。息長氏は近江国坂田郡(滋賀県)に本拠を置く地方豪族で,奈弖麻呂が平城京に出仕するにおよび改姓を願ったものであろう。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南淵弘貞」の解説

南淵弘貞 みなぶちの-ひろさだ

777-833 平安時代前期の公卿(くぎょう),漢詩人。
宝亀(ほうき)8年生まれ。坂田奈弖麻呂(なてまろ)の長男。弘仁(こうにん)14年(823)弟の永河(ながかわ)とともに南淵朝臣の氏姓をあたえられた。文章生(もんじょうしょう)の出身で,天長2年参議となり,宮内卿,刑部卿を歴任。従三位。「経国集」「令義解(りょうのぎげ)」の撰(せん)にくわわった。天長10年9月19日死去。57歳。

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