日本歴史地名大系 「南生実村」の解説 南生実村みなみおゆみむら 千葉県:千葉市中央区南生実村[現在地名]中央区南生実町、緑(みどり)区南生実町北生実村の南東方にある。中世には小弓(おゆみ)・生実としてみえ、近世前期には南小弓(元禄一三年下総国各村級分)・南大弓(みなみおゆみ)(元禄郷帳)とも書かれる。中世には小弓城が築かれ、地内に城(じよう)ノ台(だい)・古城(こじよう)・城出(きで)ノ下(した)・東堀(ひがしぼり)や大木戸(おおきど)・橋戸(はしど)・上戸(あがつと)などの城館にかかわるとみられる地名、また本郷(ほんごう)・関(せき)ノ下(した)・市道(いちみち)などの地名がある。ほか百亀喜(どうみき)・大百池(おおどいけ)は近世初期の史料に独立した村としてみえ、元禄・天保両郷帳では当村内に含まれる。天正一八年(一五九〇)西郷領となり、元和六年(一六二〇)幕府領になった。寛永四年(一六二七)から生実藩領で、同五年の小弓領郷帳に南小弓之郷として田六九七石余・畑二七八石余。以後幕末まで同藩領。寛永一一年の割付状(宍倉家文書)では本郷分高七九四石余、新屋(にいや)畑分三九石余で、大百池による水損四一石余、泉谷(いずみやつ)池袋堤水道分一七石余が引かれ年貢米七一六俵余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by