南田代村・八勢村(読み)みなみたしろむら・やせむら

日本歴史地名大系 「南田代村・八勢村」の解説

南田代村・八勢村
みなみたしろむら・やせむら

[現在地名]御船町上野うえの

北田代村の南、矢形やかた川と八勢川に挟まれた地域と八勢川左岸の村。日向往還が通り、八勢眼鏡橋を渡って北中島きたなかしま(現矢部町)に至る。文明四年(一四七二)一一月二六日の阿蘇山本堂造営棟別料足請取日記写(阿蘇家文書)に「田代」とあるのが南北の二村をさす。尾園おぞの集落北東丘陵に南田代城(小園城)跡がある。阿蘇家家臣田代乗珍の一族宗伝が在城し、その子半七四郎右衛門は黒田官兵衛に仕えたとする説(古城考)と甲斐宗運の一族親房の在城説(国誌)とがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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