日本歴史地名大系 「南鉄輪村」の解説 南鉄輪村みなみかんなわむら 大分県:別府市南鉄輪村[現在地名]別府市鉄輪 井田(いだ)・風呂本(ふろのもと)・御幸(みゆき)・鉄輪上(かんなわかみ)・鉄輪東(かんなわひがし)・大観山町(だいかんやままち)北中(きたじゆう)村の北、石垣原(いしがきばる)扇状地の北西端に位置し、集落は温泉湧出地帯にある。豊後国弘安図田帳に「平陽・立小野村十町並鶴見加納、大友兵庫殿」とあり、鉄輪の地名はこの加納が転訛したともいい、仏教の鉄輪地獄にちなんだともいわれる。江戸時代初期には南北に分立しておらず、慶長五年(一六〇〇)二月の速見郡・由布院知行方目録写(北九州市立歴史博物館蔵)では「かんなわ・ひら田」が併記され、高(一千六九九石余)は一括されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by