南長谷村(読み)みなみはせむら

日本歴史地名大系 「南長谷村」の解説

南長谷村
みなみはせむら

[現在地名]岩沼市南長谷

千貫せんがん(新山もしくは深山)の東・南の丘陵裾にあり、南境を阿武隈川が東へ蛇行しながら流れる。東は岩沼郷、北は北長谷村に接する。奥州街道が岩沼郷から西の柴田郡四日市場よつかいちば(現柴田町)へ通り、亘理わたり田沢たざわ(現亘理町)から当村南部の玉崎たまざきへと阿武隈川を渡る道が、岩沼へと通じていた。村名は北長谷村にある曹洞宗長谷ちようこく寺に由来するという。「余目記録」によれば、応永七年(一四〇〇)三月、稲村御所足利満貞に敗北した大崎詮持の孫向上院(満持か)主従は、仙道せんどう(現福島県)から女房装束で「南長谷」へ落ちのび、大崎へ帰ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む