南関新城跡(読み)なんかんしんじようあと

日本歴史地名大系 「南関新城跡」の解説

南関新城跡
なんかんしんじようあと

[現在地名]南関町関町 城原

せき町集落の北部丘陵東端部(標高約一一〇メートル)に位置する。鷹原たかのはる城・南関城ともいう。築城時期は「一統志」は慶長九年(一六〇四)、「国誌」は同五年とする。あまずらだけ城の城番であった加藤正次が主君加藤清正の命で築城し在城。一説では清正自身の縄張りともいう。元和二年(一六一六)の一国一城令で廃城となる。「国誌」によると、本丸は東西五三間・南北五三間、二ノ丸は東西一二〇間・南北七〇間で、周辺に曲輪を配していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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