日本歴史地名大系 「南高城村」の解説 南高城村みなみたかぎむら 宮城県:遠田郡小牛田町南高城村[現在地名]小牛田町南高城江合(えあい)川の北方に広がる沖積地を占める。集落は自然堤防上に立地。東は大沢(おおさわ)村(現田尻町)、南・西は中埣(なかぞね)村、北は中高城(なかたかぎ)村。当村および中高城、北高城(現田尻町)の村名は、「日本後紀」弘仁三年(八一二)九月三日条などにみえる竹城公や高城連の姓と関連をもつと考えられている。天正一四年(一五八六)の大崎氏の内訌に際し、新田刑部隆景にくみした者のなかに「高城孫市隆久」の名がみえ(伊達便覧志)、当時高城周辺はこの高城氏の支配下にあったと考えられている。また文禄元年(一五九二)には亘理(わたり)郡の十文字氏が涌谷(わくや)(現涌谷町)の亘理氏(伊達安芸)の助けを受けて村を起こしたと伝える(中埣村誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by