南鷹匠町
みなみたかじようまち
[現在地名]西区城西二丁目・幅下一丁目
北は新馬場を境に北鷹匠町および江川町、東は堀川、南は小船町および堀詰町、西は蛯屋町および戸田町に接する南北の町筋で、すべて武家屋敷からなっていた。町名は北鷹匠町と同じく鷹匠の居住地区であったことによる。徳川義直は鷹狩を好み、慶長一七年(一六一二)御手鷹匠を召抱えたが、なかでも鈴木太兵衛は主君の恩顧が最も厚く、慶安三年(一六五〇)義直が病死したとき、そのあとを追って殉死した(昔咄、金城温古録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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