単于都護府(読み)ゼンウトゴフ

デジタル大辞泉 「単于都護府」の意味・読み・例文・類語

ぜんう‐とごふ【×于都護府】

中国代、内蒙古突厥とっけつなどの諸部族を統治するために置かれた機関。650年設置。

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精選版 日本国語大辞典 「単于都護府」の意味・読み・例文・類語

ぜんう‐とごふ【単于都護府】

  1. 唐の高宗の時に設置された六都護府一つ突厥(とっけつ)などの諸部を統轄した。帰化城(内モンゴル自治区フフホト)付近にあった。〔読史方輿紀要‐歴代州域形勢・唐上〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「単于都護府」の意味・わかりやすい解説

単于都護府
ぜんうとごふ

中国、唐代の六都護府の一つ。トルコの一部族薛延陀(せつえんだ)が滅んだとき(646)、唐は、外モンゴルの鉄勒(てつろく)諸部族には六都督(ととく)府、七刺史(しし)州を置き、オルドスの北辺に燕然(えんぜん)都護府を設けてこれをべさせ、内モンゴルの突厥(とっけつ)諸部族には、649年、雲中・定襄(ていじょう)両都督府によってこれを治めさせた。663年、燕然都護府を瀚海(かんかい)都護府と改名して外モンゴルに移し、雲中都護府を内モンゴルのフフホト付近に置き、もっぱら突厥諸部族を管轄させたが、翌664年雲中都護府を単于都護府と改称した。679年と680年の二度にわたり、単于都護府支配下の突厥が反乱して唐軍に討たれたが、ついに682年、突厥の骨咄禄(クトルク)(イルテリシュ・ハガン)が独立して単于都護府を攻め、支配下に入れた。

[護 雅夫]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「単于都護府」の解説

単于都護府(ぜんうとごふ)

唐代の6都護府の一つ。650年に東突厥(ひがしとっけつ)が崩壊した後,帰化城(きかじょう)付近において,内モンゴルの突厥諸部族を統制した。その後,663年に雲中都護府がこれに代わったが,翌年再び単于都護府と改称された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「単于都護府」の解説

単于都護府
ぜんうとごふ

唐初期の663年に周辺諸民族の統御のために設けられた,6都護府の1つ
綏遠 (すいえん) 市の南の雲中故城に置かれ,内モンゴルを所管した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「単于都護府」の意味・わかりやすい解説

単于都護府
ぜんうとごふ

都護府」のページをご覧ください。

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