日本歴史地名大系 「印南庄」の解説 印南庄いなみのしよう 和歌山県:日高郡印南町印南庄印南川流域に比定される。嘉元四年(一三〇六)の昭慶門院御領目録(竹内文平氏旧蔵文書)に「庁分」として「印南庄」がみえる。永和三年(一三七七)四月一七日付の汁谷修理亮入道宛詮光書状(「続風土記」所収玉置家文書)に「紀伊国印南荘本郷事、所預置也」とみえる。詮光はこの辺りの土豪湯河詮光と考えられ、当時印南庄はその支配下にあったと思われる。また応永六年(一三九九)一一月一五日付の小山八郎宛の将軍足利義持書状(小山文書)があり、「印南本郷地頭職事所宛行也」とみえる。 印南庄いなみのしよう 兵庫県:加古川市旧印南郡地区印南庄現平荘(へいそう)町一帯に比定される庄園。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)の室町院領のうちに、女御代の肩書を付せられた印南庄がみえ、「二条前宰相為雄卿、遊義門院御分 御年貢二万五千疋但五千疋御免方々」と記されている。暦応元年(一三三八)には八坂法観(やさかほうかん)寺(現京都市東山区)に軍忠として与えられた分を除いた当庄の地頭職が寄進されている(同年九月一六日「足利尊氏寄進状」法観寺文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by