印山寺跡(読み)いんざんじあと

日本歴史地名大系 「印山寺跡」の解説

印山寺跡
いんざんじあと

[現在地名]平戸市鏡川町

平戸城下の西、勝尾かつお岳の東麓にあった真言宗寺院の跡。天文年間(一五三二―五五)松浦隆信(道可)が明の商人王直を迎えて当地の屋敷に居宅を与えて海外交易を盛んに行ったという(大曲記)。隣接地はキリシタン寺の天門てんもん寺跡とされている。王直のあと道可の隠宅が建立され、没後の慶長四年(一五九九)には印山寺尊勝そんしよう院が創立されたので、印山寺屋敷とも通称されたという。城下町安富やすとみ町の裏手にあたり、かがみ浦の入江に近く、城内にはさいわい橋で通じる。当寺は勝尾山尊勝院と号し、安満やすまん岳の末寺で、元禄年間(一六八八―一七〇四)本寺になった(延享二年平戸領内諸宗本末帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む