原口 要(読み)ハラグチ カナメ

20世紀日本人名事典 「原口 要」の解説

原口 要
ハラグチ カナメ

明治・大正期の鉄道技術者



生年
嘉永4年5月(1851年)

没年
昭和2(1927)年1月23日

出生地
肥前国島原(長崎県)

旧姓(旧名)
進藤

学歴〔年〕
ワロイ大学〔明治11年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔明治21年〕

経歴
肥前島原藩士・進藤伊織の子に生まれ、同藩士・原口謙介の養子となる。江戸に出て安井息軒・川田甕江らに漢学を学び、明治8年米国に留学を命じられワロイ大学に入る。11年卒業しペンシルベニア鉄道会社で日本人初の鉄道技師に採用され、鉄道敷設工事を担当して名声を得る。13年欧米各国を視察して帰国、東京府技師長となり市区の改正、水道・下水の改良、品川湾の改修などの計画を立て、また吾妻橋を架設するなど鉄橋工事の模範となった。15年工部省鉄道局工務技長となり、以来鉄道工事を総管すること16年間、東海道線・東北線・信越線・北陸線・中央線など幹線鉄道の建設を進めた。山陽・九州・近畿などの各線の鉄道建設にも貢献した。21年工学博士となり、38年清(中国)鉄道大臣・張之洞に招かれ鉄道顧問官を務め、鉄道交通上の指導や学生の養成に尽力した。45年富士製紙専務となり施設改善に努め、また東京鋼材社長も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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