コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

安井息軒 やすいそっけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安井息軒
やすいそっけん

[生]寛政11(1799).1.1. 日向
[没]1876.9.23. 東京
江戸時代後期の朱子学派の儒学者。名は衡,字は仲平。安井朝寛の次子。日向飫肥藩士。初め大坂に出て篠崎小竹に学び,次いで江戸へ出て昌平黌に入り,松崎慊堂に師事した。昌平黌や飫肥藩の儒官として活躍。漢唐の古注疏を重んじ,考証にすぐれ,名文家として知られ,軍備の必要を論じるなど現実政治にもかかわり,洋学にも関心を示した。著書『海防私議』『論語集説』『左伝輯釈』など。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

やすい‐そっけん〔やすゐソクケン〕【安井息軒】

[1799~1876]江戸末期の儒学者。日向(ひゅうが)の人。名は衡。字(あざな)は仲平。飫肥(おび)藩校助教、のち、昌平坂学問所教授。考証にすぐれたが、海防・軍備などの政策も論じた。著「左伝輯釈」「論語集説」「海防私議」など。

出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

安井息軒【やすいそくけん】

幕末明治初期の儒学(古学)者。名は衡,字は仲平(ちゅうへい)。日向(ひゅうが)飫肥(おび)藩安井滄洲(そうしゅう)の子。26歳で昌平黌(こう)に入り,松崎慊堂(こうどう)に学ぶ。
→関連項目清武[町]雲井竜雄

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安井息軒 やすい-そっけん

1799-1876 江戸後期-明治時代の儒者。
寛政11年1月1日生まれ。安井滄洲(そうしゅう)の次男。日向(ひゅうが)(宮崎県)飫肥(おび)藩士。江戸で昌平黌(しょうへいこう)にはいり,また松崎慊堂(こうどう)に古注学をまなぶ。天保(てんぽう)2年藩校振徳堂の助教となり,のち江戸に三計塾をひらく。文久2年昌平黌教授。ペリー来航のときあらわした「海防私議」は徳川斉昭(なりあき)にみとめられた。明治9年9月23日死去。78歳。名は衡。字(あざな)は仲平。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

やすいそっけん【安井息軒】

1799‐1876(寛政11‐明治9)
江戸後期~明治初期の儒学者。名は衡,字は仲平。日向飫肥(おび)藩儒安井滄洲の子。はじめ篠崎(しのざき)小竹,のち昌平黌および松崎慊堂(こうどう)に学ぶ。1830年(天保1)藩校助教となり藩政にも参与したが辞し,38歳再び江戸に出て学を極め弟子をとった。一時藩邸にも勤務したが,62年(文久2)昌平黌教授に抜擢(ばつてき)された。学問は中年以後復古を主とした。著書《息軒文鈔》などのほか注釈書も多い。【頼 祺一】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

やすいそっけん【安井息軒】

1799~1876) 江戸後期・幕末の儒者。日向ひゆうがの人。名は衡、字あざなは仲平。江戸で松崎慊堂に師事。郷里飫肥おび藩の儒官を経て、昌平坂学問所の教授。漢唐の注疏に基づく考証学を主とした。他に「海防私議」「弁妄」など警世の論、「読書余適」「息軒遺稿」「論語集説」など。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

世界大百科事典内の安井息軒の言及

【清武[町]】より

…近年,食品,電器などの工場の進出や宮崎医科大学の開設に伴い,人口は増加傾向にある。幕末の儒者安井息軒の出身地で,旧宅が半九公園にあるほか,清武城跡,黒坂観音などもある。清武川の黒北発電所は県内最古の水力発電所として知られる。…

※「安井息軒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

安井息軒の関連キーワード宮崎県宮崎市清武町加納きよたけ歴史館安藤太郎(1)プチャーチン安井小太郎清武〈町〉清武[町]中村貞太郎若山 甲蔵平部嶠南樋口和堂田岡凌雲時山直八中原猶介成瀬大域古松簡二本沢竹雲明治時代山井清渓若山甲蔵

今日のキーワード

所信表明演説

政府の長が施政に関する考え方を明らかにするために行う演説。日本の国会では、臨時国会や特別国会の冒頭に内閣総理大臣が衆議院および参議院の本会議場で行い、当面の問題を中心にその国会における内閣の方針を示す...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

安井息軒の関連情報