原古賀村(読み)はるこがむら

日本歴史地名大系 「原古賀村」の解説

原古賀村
はるこがむら

[現在地名]鳥栖市原古賀町はるこがまち

朝日あさひ山北方の平地に立地。文禄四年(一五九五)の豊臣秀吉朱印状写(鍋島家文書)に「はるのこか」とある。墾空閑の意であろうか。貞享四年(一六八七)改郷村帳では、一七〇石五斗八升と地米(年貢)高をあげながらも「大楠村内原古賀村」と記載され、ほかの郷村帳諸本でも大楠おおぐす村の内とされている。佐賀藩の蔵入地と配分地がある。


原古賀村
はるこがむら

[現在地名]中原町大字原古賀字原古賀

綾部あやべ村の南、綾部川(寒水しようず川の上流右岸の段丘上平地に立地する。正保絵図に村名がみえる。枝村の五日町いつかまちは郷村帳に綾部村の内とも原古賀村の内ともある。

佐賀藩の藩政期には、貞享四年(一六八七)改の郷村帳では地米(年貢)高二八九石余、配分地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android