綾部村
あやべむら
[現在地名]綾部市本町・西町・広小路・西新町・駅前通り・相生町・幸通り・若松町・若竹町・並松町・本宮町・川糸町・新宮町・上野町・新町・田町・月見町・中ノ町・天神町・神宮寺町・青野町・井倉町・井倉新町・宮代町・綾中町・味方町・野田町・寺町・田野町
和知村(現船井郡和知町)から山家村まで峡谷をうがつように西流してきた由良川が本宮山麓で流路を北に向け、久田山麓で再び西に向かう。この辺りから西は福知山まで両岸に広く沖積地が形成されている。綾部村は福知山盆地の東端にあたり、何鹿郡のほぼ南部に位置する。
集落は由良川右岸の味方のほかは大半が左岸の本宮山・藤山(寺山)・四ッ尾山麓に集中している。由良川の流路には何回か変遷があったと思われるが、綾部井堰の水路の南北では高低差があって、北側の由良川沿いは今も冠水することがあり、水田のままである。しかし青野の自然堤防上からは弥生から古墳時代にかけての住居跡が多数発見されていて、水利に制約されることの多い古代の集落分布を推察するうえに重要である。村域はさほど広くないが、何鹿郡の政治・経済・交通上の中枢である。
綾部村
あやべむら
[現在地名]津山市綾部
東北条郡に属する。丘陵地に立地し、南は草加部村、北から東へ加茂川が大きく迂回して流れ、北西の大篠村との境に烏山がそびえる。文暦二年(一二三五)九月九日の官宣旨(美作古簡集)に記す高倉庄の四至に「東限 綾部郷」とある。乾元二年(一三〇三)と思われる二月二五日の造内宮所条書(輯古帖)に「主殿寮領美作国綾部庄」とあり、伊勢内宮の造営料所にあてられている。「師守記」貞治三年(一三六四)四月条の紙背に、延慶四年(一三一一)三月一六日の中原俊茂譲状があり、「主殿寮便補美作国綾部庄」などが「嫡女字全福」に譲られている。
綾部村
あやべむら
[現在地名]中原町大字原古賀字綾部
綾部川(寒水川の上流)流路の西側に位置し、集落は鷹取山(四〇三・五メートル)の山脚南末端に立地する。この地は、東西に通ずる山脚道と、七曲峠(四五〇メートル)を経て筑前国那珂郡(現福岡県筑紫郡)へ南北に通じ筑前道が結ばれる交通上の要衝にあたる。
村名は「肥前風土記」記載の三根郡漢部郷の遺称地。承久二年(一二二〇)の検校祐清(カ)譲状(石清水田中家文書)に「綾部庄」とみえ、この中心地域に比定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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