去来墓(読み)きよらいのはか

日本歴史地名大系 「去来墓」の解説

去来墓
きよらいのはか

[現在地名]右京区嵯峨小倉山緋明神町

落柿舎らくししや背後二尊にそん院に至る路傍にある。高さ三〇センチほどの立烏帽子形の自然石で、表に「去来」の二字を刻むだけの簡素なものである。去来の本墓は現左京区真如しんによ堂内、覚円かくえん院の墓地域に一族の墓とともにあったが、隣接墓地の拡張により取除かれ現存しない。現在は遺髪を埋葬したと伝えるこの地が唯一の墓となっている。

向井去来は名を兼時、号を元淵といい、去来は別号である。父元升は肥前国長崎ながさきで儒者として知られ去来は万治元年(一六五八)八歳で京都に移住。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む