落柿舎(読み)らくししゃ

日本大百科全書(ニッポニカ)「落柿舎」の解説

落柿舎
らくししゃ

京都嵯峨野(さがの)にあった、芭蕉(ばしょう)の門人去来(きょらい)の別邸。1685、86年(貞享2、3)ごろに購入したらしい。その命名については去来の『落柿舎ノ記』に詳しく、1689年(元禄2)のことか。屋敷の広さは約1000坪(約3300平方メートル)。のちに小さく改築。芭蕉は1689年12月、91年4月から5月、94年閏(うるう)5月から6月にここに滞在し、91年のおりには落柿舎に来訪した門人たちの動静や自身の心境を記した『嵯峨(さが)日記』を残している。嵯峨野にあったことは確かだが正確な場所は不明で、現在の落柿舎は1770年(明和7)に井上重厚(じゅうこう)が嵯峨小倉山(おぐらやま)下の弘源寺跡に再興し、さらに明治初年に復興。別の場所にも落柿舎と称するものが建てられたりしたことがある。

[櫻井武次郎]

『保田与重郎著『落柿舎のしるべ』(1965・落柿舎)』

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精選版 日本国語大辞典「落柿舎」の解説

らくし‐しゃ【落柿舎】

京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町にある向井去来の別宅の号。元祿四年(一六九一)芭蕉がしばらく滞在した。去来没後荒れていたが、明治に再興された。裏に去来の墓がある。
※俳諧・嵯峨日記(1691)「元祿四辛未卯月十八日、嵯峨に遊びて去来が落柿舎に到」

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世界大百科事典内の落柿舎の言及

【小倉山】より

…東麓に藤原定家の山荘時雨(しぐれ)亭の跡という厭離(おんり)庵がある。同庵近くの落柿舎(らくししや)は向井去来の別荘であり,芭蕉はここで《嵯峨日記》を書いた。【奥村 恒哉】。…

【去来】より

…文献上,去来の俳諧作品の初出は,1685年夏に江戸の風瀑が編んだ《弌楼賦(いちろうのふ)》の発句2章である。86年ごろ京都郊外の嵯峨野に別荘を購入し(のちに落柿舎(らくししや)と命名),89(推定),91,94年と,上京した芭蕉をここに招いている。芭蕉監修のもとに凡兆と編んだ《猿蓑》(1691)は,蕉風俳諧の代表的撰集と賞せられる。…

※「落柿舎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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