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去来 キョライ

デジタル大辞泉の解説

きょ‐らい【去来】

[名](スル)
去ることと来ること。行ったり来たりすること。ゆきき。往来。「心中に去来する思い」
過去未来

きょらい【去来】[人名]

向井去来(むかいきょらい)

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百科事典マイペディアの解説

去来【きょらい】

江戸中期の俳人。姓は向井,名は兼時。別号,落柿舎など。長崎の人。去来の子供時代に一家は京都に移住,のち去来自身は福岡に下り,武道修行に励んだが,結局仕官せず,1675年ごろ京都に戻る。
→関連項目さび丈草俳諧七部集風俗文選凡兆

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世界大百科事典 第2版の解説

きょらい【去来】

1651‐1704(慶安4‐宝永1)
江戸前期の俳人。姓は向井,通称は喜兵次または平次郎。幼名は慶千代。諱(いみな)は兼時。字は元淵(もとひろ)。義焉子とも号す。長崎の人。長崎後興善町に長崎聖堂の祭酒向井元升の次男として生まれる。兄に元端(震軒),弟に元成(魯町),利文(牡年),妹に千代(千子)らがある。1658年(万治1)父に伴われて京に移住したが,のち福岡に下って武道を修行。75年(延宝3)ごろ武を捨てて京に戻り,77年没した父を継いで典薬となった兄元端を助け,公家に出入りして神道家,陰陽家として天文や暦のことに携わったという。

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大辞林 第三版の解説

きょらい【去来】

( 名 ) スル
去ることと来ること。行ったり来たりすること。また、思い浮かんだり消えたりすること。 「この間の出来事が脳裏に-する」

きょらい【去来】

向井むかい去来

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

去来
きょらい

向井去来」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

去来
きょらい
(1651―1704)

江戸中期の俳人。向井氏。通称平次郎、字(あざな)は元淵、庵号(あんごう)落柿舎(らくししゃ)。儒医元升の次男(兄元端、妹千代など9人兄妹)として肥前国長崎に生まれ、8歳のとき、父の移住に伴い上京。一時、福岡の母方の叔父久米(くめ)家の養子となって武芸の道を学び、その奥儀を極めたが、24、25歳のころ弓矢を捨てて帰京し、陰陽道(おんみょうどう)の学をもって堂上家に仕えた。
 1684年(貞享1)以降、芭蕉(ばしょう)に師事して俳諧(はいかい)に専念し、翌年には嵯峨(さが)落柿舎に隠棲(いんせい)、蕉門の代表的撰集(せんしゅう)となった『猿蓑(さるみの)』編纂(へんさん)の任を与えられるなど、芭蕉の信頼厚く、関西の俳諧奉行(ぶぎょう)と称されるほどであった。芭蕉没後は、浪化(ろうか)、風国、卯七(うしち)ら門友間に忠実な師風を伝えることに努め、『去来文(きょらいぶみ)』『旅寝論(たびねろん)』などの俳論書を著し、また同門高弟連の邪道に走るを戒めるべく許六(きょりく)と論争(俳諧問答)を重ねたりしたが、蕉風随一の俳論書として評価の高い『去来抄』は、いわばそれらの総決算であった。篤実穏健な人柄は、反面強い自負心に支えられ、作風は、蕉風の真髄を悟って高雅清寂であるが、晩年はしだいに平明に向かっている。宝永(ほうえい)元年9月10日、京岡崎聖護院(しょうごいん)の家に没した。墓は洛北(らくほく)真如堂(しんにょどう)に一門の人々とともにあったがいまは失われ、洛西嵯峨に招魂の小碑が建っている。[堀切 實]
 秋風やしらきの弓に弦(つる)はらん
『杉浦正一郎他編『向井去来』(1954・去来顕彰会) ▽大内初夫他編『去来先生全集』(1982・落柿舎保存会)』

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世界大百科事典内の去来の言及

【去来抄】より

…俳諧論書。去来著。1704年(宝永1),執筆中に著者は病没し,〈先師評〉〈同門評〉〈故実〉〈修行教〉の4巻2冊が草稿のまま実弟魯町のもとに伝わった。…

【さび(寂)】より

…なお,俳諧の〈さび〉は中世の〈さび〉に,さらに俳諧固有の滑稽・諧謔のいぶしがかけられている。ただ,芭蕉自身が〈さび〉を語った例は少なく,去来の句〈花守や白きかしらをつき合せ〉を〈さび色よくあらはれ,悦(よろこび)候〉(《去来抄》)と評したのが最も確かな資料の一つといわれる。なお,去来によると,その微妙な味わいは,たとえていえば,老人が甲冑に身を固めて華々しく奮戦しても,また錦繡を着飾って御宴にはべっても,そこにおのずからにじみ出る老の姿があるようなものだという。…

【猿蓑】より

…2匁5分。編者は京蕉門の去来凡兆であるが,おくのほそ道行脚の後,上方滞在中の芭蕉がこれを後見し,行脚による新風開眼の成果を盛って,俳壇の蕉門認識を新たにした。蕉門の許六・支考が〈俳諧の古今集〉と評しているように,蕉風円熟期を代表する撰集で,のちに《俳諧七部集》の第5集となった。…

【蕉門十哲】より

…許六の〈師の説〉に〈十哲の門人〉と見えるが,だれを数えるかは記されていない。その顔ぶれは諸書により異同があるが,1832年(天保3)刊の青々編《続俳家奇人談》に掲げられた蕪村の賛画にある,其角,嵐雪,去来,丈草,許六(きよりく),杉風(さんぷう),支考,野坡(やば),越人(えつじん),北枝(各項参照)をあげるのがふつうである。【石川 八朗】。…

【旅寝論】より

…江戸中期の俳諧論書。蕉門の俳人向井去来の著。1699年(元禄12)3月自序。…

【俳諧問答】より

…俳諧論書。元禄10年(1697)閏2月付で去来が其角(きかく)に送った書状を皮切りに,翌年にかけて許六(きよりく)と去来の間で交わされた往復書簡を集めたもの。〈贈晋氏其角書〉〈贈落柿舎去来書〉〈答許子問難弁〉〈再呈落柿舎先生〉〈俳諧自讃之論〉〈自得発明弁〉〈同門評判〉から成る。…

【不易流行】より

…不易と流行という相反する概念を結合することによって,つねに新しい俳諧美の創出を心がけつつ,なお和歌の一体としての風尚を保たなければならない,俳文学の内部矛盾を克服するために案出された俳理論と考えられるが,蕉門内部においても理解が一致していたとは言いがたい。向井去来(きよらい)は〈蕉門に千歳不易の句,一時流行の句と云ふ有り。是を二つに分けて教へ給へる。…

※「去来」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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