友田安清(読み)トモダ ヤスキヨ

20世紀日本人名事典 「友田安清」の解説

友田 安清
トモダ ヤスキヨ

明治・大正期の陶業家



生年
文久2年(1862年)

没年
大正7(1918)年7月

出身地
加賀国金沢(石川県)

旧姓(旧名)
木村

経歴
金沢藩士・木村畋の長男に生まれ、9歳で伯父・友田運蔵の養嗣子となる。絵画を幸野楳嶺・岸竹堂・池田九華に学び、陶画内海吉造・岩波玉山に習い、九径または九渓と号す。明治15年納富介次郎に製陶著画の新法・西洋式顔料着画法を習い、18年ドイツ人ワグネルに製陶法と顔料調整法を、20年中沢岩太に化学を学ぶ。22年石川県立工業学校教諭を経て、24年陶磁器工場・友田組を金沢に起こす。傍ら、洋式顔料の製造を始め実弟吉村又男と共営。32年兵庫県出石郡立陶磁器試験所長として招かれ7年間務める。39年金沢に林屋組を創立、のち日本硬質陶器と改称し、41年以来技師長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「友田安清」の解説

友田安清 ともだ-やすきよ

1862-1918 明治-大正時代の陶業家。
文久2年生まれ。加賀金沢藩士の子。納富介次郎(のうどみ-かいじろう)に西洋式顔料着画法を,ドイツ人ワグネルに製陶法と顔料調整法をまなぶ。石川県立工業教諭,兵庫県出石(いずし)郡立陶磁器試験所長をへて金沢に林屋組を創立,のち日本硬質陶器とあらため,技師長となる。大正7年7月死去。57歳。旧姓は木村。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android