友行村(読み)ともゆきむら

日本歴史地名大系 「友行村」の解説

友行村
ともゆきむら

[現在地名]尼崎武庫之荘むこのそう六―九丁目・武庫之荘本町むこのそうほんまち二丁目・西昆陽にしこや一丁目・武庫の里むこのさと二丁目

武庫庄むこのしよう村の北に位置し、北東川辺かわべ野間のま(現伊丹市)。建治三年(一二七七)六月日の報恩院領年貢注進状(醍醐寺文書)に「野間村友行名」とみえ、名内に散在する田地が山城醍醐寺報恩ほうおん院領となっている。田数は合計一町六段、年貢合計一一石八斗九升五合、他の負担物は藁・糠、鯛の日干しなど。一町六段は「醍醐田」と号され、室町時代にも引続いて同院領として存続している(応永一九年二月二七日「源秀奉書写」勧修寺文書)

文禄三年(一五九四)九月四日の友行村検地(部分、友行部落有文書)によると、速水甲斐守の奉行で検地を実施、三四七筆・七五人、うち友行分三〇九筆・四九人、とき(時友)分二六筆・一七人、たつミ(辰巳条)分九筆・六人、とまつ(富松)分一筆・一人、のま(野間)分一筆・一人、武庫庄分一筆・一人(末尾反別・石高部分は欠)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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