双月村(読み)そうつきむら

日本歴史地名大系 「双月村」の解説

双月村
そうつきむら

[現在地名]山形市双月町一―四丁目・双月町・双月新町そうつきしんちよう山家町やんべまち一丁目・和合町わごうまち一―三丁目・芳野よしの

院役いんやく村の南に位置し、馬見まみさき川中流東岸平地とさかずき山の北西麓丘陵に立地。集落は山形城下山寺やまでら村を結ぶ山寺街道に沿う。笹谷ささや街道が最上義光により変更される以前は、小白川こじらかわ村から当村を通っていて、村内に宿場があったとされる。荷渡にわたり神社は宿場の守護神であったという。

最上氏改易後は山形藩領、延享元年(一七四四)幕府領、寛政二年(一七九〇)常陸土浦藩領となる。元和九年(一六二三)の双月村検地帳(山形県史)によれば田五町四反余・畑五町一反余・屋敷地一町余(屋敷数一九)山家村・院役村、城下みや町などから入作、そのほか成就じようじゆ院・薬師などの寺領もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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