反辺村
たんべむら
[現在地名]佐田町反辺
南は大路村・八幡村、西は神門郡東村・八幡原村、北は同郡乙立村(現出雲市)。村名は中世から近世にかけては反部の字があてられ(雲陽大数録・雲陽誌)、明治以後反辺村に替わる。集落は淀西・慶正・呑水・町が下反辺、本郷・平田・別所が上反部と称されている。村の管轄については「郡村誌」は「貞享二年乙丑四月本村ノ北部凡四分(即チ現今大字八幡分)ヲ割キ、山城国石清水八幡宮ノ領地トナリ八幡領ト称ス。残地六分ハ明治二年正月藩籍奉還マテ松平家ノ領地タリ」と記し、北部四分(下反辺の淀西・慶正・呑水・町)が石清水八幡宮領であったという。八幡村が広瀬藩領に編入されたため、八幡宮領分(二一〇石)を当村に移した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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