反革命罪(読み)はんかくめいざい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「反革命罪」の意味・わかりやすい解説

反革命罪
はんかくめいざい

革命によって成立した新たな政治権力が、新体制の転覆と旧体制の復興を目ざす運動に対して刑事抑圧をもって臨む例は、市民革命期以来広く認められるところであるが、現代史において特異な地位を占めるのは、旧ソ連における「反革命罪」の場合である。この用語はロシア革命後、1922年に制定されたロシア共和国刑法典において、国家犯罪(行政秩序違反罪を含む)のうち、いわゆる内乱外患罪、すなわち武装反乱、外国との通謀スパイ、破壊行為、妨害行為および職務サボタージュ、反革命組織への参加、反革命的扇動文書の頒布など、「労農ソビエト権力およびロシア共和国憲法に基づいて存在する労農政府の転覆・破壊または弱体化を目ざすあらゆる行為」をさすものとして導入され(同法典57条~73条)、1926年法典(58条の1~14、59条の1~13)を経て1950年代末までほぼそのまま維持された。反革命罪は当初、その他の一般犯罪とはその優れて階級的な性格において類型的に区別されるものとみなされたが、その後とくに1920年代末~30年代初めの農業集団化に伴う「上からの革命」期、30年代後半の大粛清期には、集団化に抵抗する農民や政治的反対派などを人民の敵として断罪する際に、当初の想定を離れて広く適用された。

 1950年代末以降の非スターリン化過程において推進された社会主義的適法性復活・強化路線は、かかる否定的現象克服にまず向けられたものであり、58年制定のソ連邦刑事基本法(立法の基礎)とその後成立した各共和国刑法典は、反革命罪という用語を捨てるとともに、新しい刑事政策の原則を採用した。しかし、新法典に規定された「とくに危険な国家犯罪」(ロシア共和国刑法典64条~73条)、とりわけ66年に拡充された行政秩序違反罪の規定(同法典190条の1~3)は、いわゆる反体制派知識人にも適用されており、そこに1930年代の現象と連続する問題をみることができる。

[大江泰一郎]

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