収塚古墳(読み)おさめづかこふん

国指定史跡ガイド 「収塚古墳」の解説

おさめづかこふん【収塚古墳】


大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲(もずせきうん)町にある帆立貝形古墳。大仙陵古墳仁徳(にんとく)天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(履中(りちゅう)天皇陵)、土師(はぜ)ニサンザイ古墳(反正(はんぜい)天皇陵)などを中心とする百舌鳥古墳群がある丘陵の東側の一端に位置し、周囲は民家に取り囲まれている。仁徳天皇陵陪塚(ばいちょう)と考えられ、1958年(昭和33)に国の史跡に指定された。基底径約40m、高さ約4.5mの後円部を残すだけだが、かつては周濠をもち、前方部を西に向けた、全長65mの帆立貝形の前方後円墳だったことが知られており、後円部頂上付近から鉄製短甲片が出土したと伝えられている。墳丘は低く平らで、元の姿を失ってはいるものの、百舌鳥古墳群の一つとして重要視されている。JR阪和線百舌鳥駅から徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む