国指定史跡ガイド 「収塚古墳」の解説
おさめづかこふん【収塚古墳】
大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲(もずせきうん)町にある帆立貝形古墳。大仙陵古墳(仁徳(にんとく)天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(履中(りちゅう)天皇陵)、土師(はぜ)ニサンザイ古墳(反正(はんぜい)天皇陵)などを中心とする百舌鳥古墳群がある丘陵の東側の一端に位置し、周囲は民家に取り囲まれている。仁徳天皇陵の陪塚(ばいちょう)と考えられ、1958年(昭和33)に国の史跡に指定された。基底径約40m、高さ約4.5mの後円部を残すだけだが、かつては周濠をもち、前方部を西に向けた、全長65mの帆立貝形の前方後円墳だったことが知られており、後円部頂上付近から鉄製短甲片が出土したと伝えられている。墳丘は低く平らで、元の姿を失ってはいるものの、百舌鳥古墳群の一つとして重要視されている。JR阪和線百舌鳥駅から徒歩すぐ。