日本歴史地名大系 「口ヶ島村」の解説 口ヶ島村くちがしまむら 岐阜県:養老郡養老町口ヶ島村[現在地名]養老町口ヶ島島田(しまだ)村の南東、東流する金草(かなくさ)川の右岸にある。集落は金草川堤に沿ってあるが、古くは大跡(おおあと)村の北東にあって八中村口ヶ島と称したといい、移転は慶安三年(一六五〇)の大洪水の後で、そのとき口ヶ島村と改名したという(養老郡志・濃陽志略)。旧地に元屋敷(もとやしき)の地名が残る。東は西岩道(にしいわみち)村。慶長郷帳に村名がみえ、高四九五石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳によると幕府領。正保郷帳では田四八〇石余・畑一一四石余、うち四九五石余が尾張藩領、一〇〇石が伊勢香取(かとり)(現三重県桑名郡多度町)の法泉(ほうせん)寺領。明暦覚書によれば元和五年から尾張藩領で、概免四ツ一分九厘余、人数一四六、馬一二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by