口直海村(読み)くちのみむら

日本歴史地名大系 「口直海村」の解説

口直海村
くちのみむら

[現在地名]河内村口直海

福岡ふくおか村の北東、手取川とその支流直海谷のみだに川との合流地に位置し、集落は同川右岸にある。仮名付帳は「くちなおうみ」と訓ずる。北の中島なかじま(現鶴来町)との間の山道は「のみの歩危ほうけ」と名付けられた難所であった。慶長四年(一五九九)の前田利家知行宛行状(県立歴史博物館蔵)に直海村とみえ、知行高二七三俵。のち当村と中直海なかのみ村に分村したと考えられる。正保郷帳に村名がみえ高八四石余、田方三反余・畑方五町三反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(口直海区有文書)の高九〇石、免三ツ六歩、小物成は山役七九匁・川役九匁。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む