古三津村(読み)ふるみつむら

日本歴史地名大系 「古三津村」の解説

古三津村
ふるみつむら

[現在地名]松山市古三津町ふるみつまち元町もとまち須賀町すがまち高山たかやま町・内浜うちはま町・春美はるみ町・辰巳たつみ町・会津町あいづまち中須賀なかすが一―三丁目・三杉町みすぎまち祓川はらいかわ一―二丁目・吉野よしの町・ひばりヶおか明神丘みようじんおか

松山平野の北西平坦部に位置する農村。村の東北に天満てんま山・大明神だいみようじん山などの低平な分離丘陵があるほかは平坦である。東は久万くま村、西は三津町、南は山西やまにし村、北は新浜しんはま村に接する。この地を熟田津にきたつに比定する説がある(→熟田津

古くは三津村と称されたが、のち、港に面して市街化した部分を切り離して湊町とし(→三津町、郷村として残存した地域を古三津村と称した。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)和気わけ郡の項には、分離前の三津村として記される。湊町の独立した時期は明確でないが、松平定行が松山に入った寛永一二年(一六三五)九月に、家臣石原十左衛門が三津町奉行に任ぜられているから、おそらくこの頃であったと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android