デジタル大辞泉 「熟田津」の意味・読み・例文・類語 にきた‐つ【熟田津】 《「にきたづ」とも》愛媛県松山市の道後温泉付近にあった船着き場。[歌枕]「―に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」〈万・八〉 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「熟田津」の意味・読み・例文・類語 にきた‐つ【熟田津・飽田津・柔田津】 ( 「にきたづ」「にぎたづ」とも ) 愛媛県松山市にあった道後温泉の船着場。その所在地は堀江町とも古三津町とも和気町ともいわれ、確定しない。みぎたつ。[初出の実例]「熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」(出典:万葉集(8C後)一・八) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「熟田津」の解説 熟田津にきたつ 愛媛県:松山市熟田津「万葉集」の歌にみえる古代の地名。古代に道後(どうご)温泉に来浴する時、海路による場合は、熟田津とよぶ港に上陸した。「日本書紀」巻二六斉明天皇紀七年の条に、<資料は省略されています>とあり、「万葉集」巻一、「額田王歌」に、<資料は省略されています>「万葉集」巻三、「山部宿禰赤人、伊予の温泉に至りて作る歌一首并せて短歌」の短歌に、<資料は省略されています>「万葉集」巻一二に、<資料は省略されています>がみえる。中世には飽田津(あきたつ)、柔田津(なりたつ)の訓が一部に行われた。歌学書では「にきたづ」で採らずに古訓で採られている。「五代集歌枕」津の項に「あきたづ伊予国」「なりたづ同」、「八雲御抄」津の項に「伊あきたづ(万。有臨幸。)」「同なりたづ(万。同上)」とある。また古文献では熟の古字「」を就とし、就田津(なりたつ)とも書かれている。これらから、熟田津・飽田津・就田津の三港が存在したとの説が立てられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「熟田津」の意味・わかりやすい解説 熟田津 (にぎたつ) 古代の港。《日本書紀》に斉明7年(661)の百済救援軍の船が大伯海(おおくのうみ)(現在の岡山県瀬戸内市の海)から伊予の熟田津の石湯行宮(いわゆのかりみや)に停泊したとある。熟田津の位置を松山市古三津町あるいは同市和気町,または堀江町に比定する諸説がある。《万葉集》に額田王の歌として〈熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな〉という歌を収める。執筆者:千田 稔 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by