古川勝(読み)フルカワ マサル

20世紀日本人名事典 「古川勝」の解説

古川 勝
フルカワ マサル

昭和・平成期の水泳選手(平泳ぎ),水泳指導者



生年
昭和11(1936)年1月6日

没年
平成5(1993)年11月21日

出身地
和歌山県橋本市

学歴〔年〕
日本大学経済学部〔昭和33年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本スポーツ賞〔昭和30年〕,ヘルムス賞〔昭和31年〕,紫綬褒章〔平成5年〕

経歴
橋本高在学中にヘルシンキ五輪の銀メダル相当の記録を出す。昭和30年潜水泳法を採用、長・短水路で世界記録を樹立(200メートル2分31秒0、100メートル1分8秒3)。31年にはメルボルン五輪200メートル平泳ぎで、金メダルを獲得。スタートから45メートルも潜ったまま水中を進む泳法が注目され、米国原子力潜水艦に因んで“人間ノーチラス”と呼ばれたが、潜水泳法は以後禁止となった。33年〜平成元年大丸神戸店勤務を経て、退社後の3年大阪市天王寺区のスイミングスクール校長に就任。4年肺がんと告知されたが、携帯用酸素ボンベを使用して、後進を指導した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古川勝」の解説

古川勝 ふるかわ-まさる

1936-1993 昭和後期-平成時代の水泳選手,指導者。
昭和11年1月6日生まれ。日大在学中に40m以上ももぐる「潜水泳法」を完成させ,昭和30年平泳ぎで世界新記録を連発。31年メルボルン五輪の200m平泳ぎで金メダル。五輪後,この泳法は禁止された。大丸勤務をへて,スイミングスクール校長をつとめた。平成5年11月21日死去。57歳。和歌山県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「古川勝」の解説

古川 勝 (ふるかわ まさる)

生年月日:1936年1月6日
昭和時代;平成時代の水泳選手;水泳指導者
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の古川勝の言及

【水泳】より

…日本では1928年のアムステルダム大会の200mで鶴田義行が2分48秒8で日本水泳選手として初めて優勝して以来,小池礼三,葉室鉄夫ら名選手が続き,女子選手でも前畑秀子がベルリン大会で日本女子選手の金メダル第1号になった。56年のメルボルン大会では潜水泳法を駆使した古川勝,吉村昌弘が金,銀メダルを獲得したが,大会後,潜水泳法は禁止された。その後はアメリカのC.ジャストレムスキーがハイピッチ泳法をあみ出し,G.プロコペンコを中心とした旧ソ連の選手がストロークの大きい豪快な平泳を完成させたが,田口信教がこの両者の泳ぎをうまくとり入れて水中深くけり込む田口式キックをあみ出し,72年のミュンヘン大会では100mに優勝,200mに3位入賞した。…

※「古川勝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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