出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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…また幕末世直し段階になると,経済的平等を要求する世均し(よならし)の動きとも重なって,富者の施し(米金施与)だけでなく借金棒引き・質地質物返還をも要求して闘われたが,世直しの目的貫徹のために,打毀が最もラディカルに行われた。この段階になると都市打毀も世直し一揆と同じ役割をもって,幕末階級闘争史の一翼をになうのである。この二つの闘争の主体勢力としての〈芽ばえたばかりのプロレタリア的分子〉(前期プロレタリア)の存在が,農村と都市とを結ぶ紐帯の役割を果たし,かつ幕末打毀勢力の重要な構成分子だったのである。…
…信達一揆ともいう。江戸時代,陸奥国信夫(しのぶ)・伊達両郡(福島市周辺)で起こった百姓一揆。この地域では近世後期にしばしば百姓一揆が起こっているが,なかでも1749年(寛延2)の幕領での惣百姓強訴と1866年(慶応2)の世直し騒動は,信夫・伊達両郡にまたがる規模のものであったので信達騒動と呼ばれている。 (1)寛延の惣百姓強訴は1749年桑折(こおり)代官所の代官として着任した神山三郎左衛門が,凶作にもかかわらず過酷な増租策を打ち出したのが原因である。…
…信濃,越後,甲斐などで贋造(がんぞう)二分金の流布による被害を理由として起こった一揆。贋造二分金騒動ともいう。ちゃら金とは明治初年に流通した贋造二分金のことで,戊辰戦争の過程で軍資金調達のために諸藩で大量に鋳造され広範に流布していた。このため深刻な物価騰貴を引き起こしていたのである。とくに甲信越などの養蚕製糸地帯では生糸・蚕種の代価として横浜等より大量に流入していた。農民たちは鑑定法を知らないためこれを受け取り,通用閉塞,物価騰貴などによって困難に陥った。…
…農兵は弱体化した幕藩領主の軍事力を補完する役割を担ったのである。このほか,幕末の内憂外患により,とくに世直し一揆の激発を深刻に憂慮する豪農,村役人によって組織された農兵もある。たとえば66年(慶応2)の武州一揆にたいして,こうした豪農の組織した農兵が積極的に鎮圧を行っており,農兵の性格の一面を示している。…
…1833年(天保4)藩は物産会所を創設し,藩内の特産物である生糸の独占集荷販売機構をつくったが,実際には御用商人が冥加金を払って代行していた。59年(安政6)の開港で生糸は最大の輸出品となり,糸値は急騰し福島城下の商業は急激に発展したが,諸物価も高値となって農民は困窮し,66年(慶応2)信夫・伊達両郡に大規模な世直し一揆(信達騒動)が発生した。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わったが,二本松城落城後,官軍に降伏した。…
…1866年(慶応2)6月13日に武蔵国秩父,高麗,多摩3郡の山村地帯の窮民が〈打毀(うちこわし)連中〉を結成して同時蜂起した一揆で,6月19日上州・武州国境沿いの打毀を最後に壊滅する。その間武蔵15郡,上野2郡にわたり,豪農,村役人,忍(おし)藩陣屋など合計450軒余を打ち毀した。参加者は武蔵,上野,下野,相模,常陸の関東5ヵ国に及ぶ窮民約10万人余である。一揆は,横浜貿易の展開に加えて第2次長州征伐などの動乱により,山村,畑作農村で急激に米価が騰貴したため生活苦に陥った窮民が,米穀の安売りを要求して在郷商人に迫ったが拒否され,打毀に走ったものである。…
…江戸時代の村落内部の対立,闘争。村方出入(でいり),小前(こまえ)騒動ともいう。江戸時代の村落は,前後の時代と比べると小農の比率が高く,比較的に均一な印象を与えるが,実際には上下の階層差が小さくなかった。村落の成員はほとんど百姓身分の農民だったが,初期には百姓以下の名子(なご),前地(まえち),被官(ひかん)などと呼ばれる隷属身分の下層農民がかなり存在した。また百姓身分であっても,家格によって家宅の構造や衣類の種類や婚姻,葬儀の形式などの区別が強いられていた。…
※「世直し一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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