朝日日本歴史人物事典 「古満寛哉」の解説
古満寛哉
生年:明和4(1767)
江戸後期の蒔絵師。本名は坂内重兵衛。古満巨柳の門人となって頭角を現し,古満の姓を許される。晩年には坦叟あるいは坦哉と号したという。現在,寛哉作を称する作品は多いが,いずれも確証はなく,その作風は明らかではない。ただ,古満派の蒔絵師の例にもれず,印籠を中心に制作を行っていたことは確かで,「寛哉」銘の印籠が巷間に数多く伝えられている。代表作は,竹塗に蝉を蒔絵した「竹蝉蒔絵印籠」(東京国立博物館蔵)など。なお,明治漆工界の大御所として知られる柴田是真は,この寛哉の弟子筋に当たる。<参考文献>風俗絵巻図書刊行会編『蒔絵師伝・塗師伝』,『古満家系図』
(小松大秀)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報