幕末から明治の漆工、絵師。江戸・両国橘(たちばな)町生まれ。通称順蔵。幼名亀太郎、号は令哉(れいさい)、対柳居(たいりゅうきょ)、枕流亭(ちんりゅうてい)。11歳で蒔絵師(まきえし)古満寛哉(こまかんさい)(1767―1835)に入門、16歳のとき四条派の鈴木南嶺(なんれい)(1775―1844)に絵画を学び、24歳の春、京都に遊学し、南嶺の紹介で岡本豊彦(とよひこ)(1773―1845)につく。また頼山陽(らいさんよう)と交わり、和歌を香川景樹(かげき)に学ぶ。27歳のとき、南嶺より号是真、字(あざな)儃然(たんぜん)を贈られ、これまでの号令哉を改めた。1840年(天保11)2月、江戸住吉明徳講の依頼で王子稲荷(いなり)社に絵馬『鬼女図額面』を制作奉納、その迫力ある筆致と気魄(きはく)に満ちたみごとな表現は江戸中の人気の的となった。同稲荷社には代表作の『茨木童子(いばらぎどうじ)図額』も現存している。のち変(かわり)塗りの青海波(せいがいは)塗りや青銅塗りなどの技法を駆使して、是真流の漆芸を完成させた。1873年(明治6)政府の推挙でウィーン万国博覧会に『冨士田子浦(ふじたごのうら)蒔絵額面』を出品、進歩賞牌(しょうはい)を受賞して以来、内外の展覧会で多くの賞牌を受ける。なかでも、和紙の上に色漆(いろうるし)で描く漆絵は、油絵を彷彿(ほうふつ)させる是真独得の画法である。1890年帝室技芸員に任命。漆器の作品は、器形の妙味と、加飾の蒔絵がよく調和して粋(いき)な江戸趣味を表し、代表作に『烏鷺(うろ)蒔絵菓子器』(東京国立博物館)がある。絵画では小粋(こいき)な題材やユーモラスな内容の俳味のあるものに特色をもった作品が残っている。
[郷家忠臣]
幕末・明治時代の蒔絵師,絵師。江戸両国橘町に生まれる。幼名亀太郎,のち順蔵。字は儃然,27歳ころから是真と号した。11歳で古満寛哉(こまかんさい)に蒔絵を学び,16歳で円山四条派の鈴木南嶺,のち岡本豊彦に絵を学ぶ。香川景樹,頼山陽らとも交わった。1840年(天保11)江戸住吉明徳講の求めにより《鬼女図額面》を制作し,王子稲荷へ奉納,市中の人気をわかせ絵師の地位も高まった。弘化年間(1844-48)に青海波塗を復活させ,青銅塗,石目塗などの新しい漆塗法を工夫している。明治初年には和紙に彩漆(いろうるし)で絵を描く漆絵を試み,油絵のような効果を生みだした。彼の漆器制作はすぐれた画技によって下絵から仕上げまで自ら行う独自のもので,奇抜な趣向の器形と意匠がよくあっている。73年のウィーン万国博出品の《富士田子浦蒔絵額面》は進歩賞牌を受けた。90年帝室技芸員。令哉,真哉,隆真の3子が父の業を継ぎ,門弟には池田泰真らがいる。
執筆者:郷家 忠臣
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(佐藤道信)
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