古田重二良(読み)フルタ ジュウジロウ

20世紀日本人名事典 「古田重二良」の解説

古田 重二良
フルタ ジュウジロウ

昭和期の私学経営者 日本大学会頭



生年
明治34(1901)年6月23日

没年
昭和45(1970)年10月26日

出生地
秋田県秋田市

学歴〔年〕
日本大学高等専攻部法律科〔大正14年〕卒

経歴
学校を出て日大高等工学校(工学部前身)の職員となり、終戦直前の昭和20年6月、工学部事務長に。戦後は日本大学参与、理事を経て24年理事長、33年には学内最高ポストの会頭に就任する。その後各地に付属高校を増設するなど学園の規模の拡大を図り、在任中に大学生8万人、高校、中学を合わせると14万人にのぼる学園のマンモス化を達成した。だが、その半面、学生の政治活動を一切禁じ、学内の学生自治会を全学連に加入させず、職員組合も認めないというワンマンぶりを発揮。また会頭となった33年には大学審議会の会長となり、当時の佐藤栄作首相を総裁にかついで「日本会」を結成するなど政界にも太いパイプをもった私学のボスとなる。43年に24億円もの使途不明金を国税当局に摘発され、開学以来の大学紛争に巻き込まれて辞任約束に追い込まれる。佐藤首相のテコ入れでいったんは辞意を撤回したものの、やがて病に倒れた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古田重二良」の解説

古田重二良 ふるた-じゅうじろう

1901-1970 昭和時代の学校経営者。
明治34年6月23日生まれ。昭和20年母校日大の工学部事務監となり,理事長をへて33年会頭。学部独立採算制を導入し,日本一のマンモス大学をきずく。43年使途不明金が摘発されて日大紛争をまねき,44年会長。39年郷里秋田市に秋田経済大を新設した。昭和45年10月26日死去。69歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「古田重二良」の解説

古田 重二良 (ふるた じゅうじろう)

生年月日:1901年6月23日
昭和時代の私学経営者。日本大学会頭;大学審議会会長
1970年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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