出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
日本古代の律令制のもとで,天皇に近侍し,宿衛等の任にあたった者。和名を〈つわもののとねり〉といい,左右の兵衛府に各400人が所属した。令制以前,地方の国造の子弟などから貢上されて天皇,皇子の側近に仕えた舎人(とねり)の系譜をひくもので,7世紀後半の天武朝に制度の成立をみた。養老令の規定では,内六位以下八位以上の嫡子で21歳以上の者から選ばれる一方,令制以前の国造の後身である郡司の子弟で弓馬に巧みな者を,国司が貢上することとなっており,旧来の舎人の伝統が生かされていた。宮内の宿直,天皇身辺の護衛,閤門(内門),殿門の守衛など,天皇周辺のもっとも重要な職務を担当し,農民出身の衛士(えじ)を牽制する親衛軍の役割を果たした。10世紀以降,新たな地方勢力の台頭によって,兵衛の基盤である伝統的な地方首長層が分解していくと,兵衛もその存在意義と特異性とをしだいに失った。
執筆者:笹山 晴生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…軍団兵士の一部は衛士(えじ)として中央の宮城・京師の警備にあたり,またおもに東国の兵士のなかから九州の辺防にあたる防人(さきもり)が遣わされた。宮城警備のためには衛門府・左右衛士府・左右兵衛府の五衛府が置かれ,衛門府では門部・衛士,衛士府では衛士,兵衛府では兵衛が武力の主体を形成した。このうち門部は旧来の伴の伝統をつぐもので,負名氏(なおいのうじ)と呼ばれる特定の氏族が代々宮城門の警衛にあたった。…
…また在京の諸司および大宰府,壱岐(いき),対馬(つしま)の職事官(しきじかん)たちは,毎年,8月から翌年正月,2月から7月までに,それぞれ120日以上の出勤が記載されると,季禄として,春夏の禄,秋冬の禄が支給された。そして分番のなかでも,兵衛は,6ヵ月ごとに日夜それぞれ80日以上勤務すると,禄を支給されたのである。考課選叙【野村 忠夫】。…
…国造またはその一族は舎人直(とねりのあたい)として舎人を統率し,舎人部は舎人の管掌下に舎人の資養物を貢進することなどを負担し,舎人直―舎人―舎人部という階層関係がみられた。《日本書紀》における,大化以前関係の記載にみえる〈帳内〉(雄略即位前紀),〈兵衛〉(用明1年5月条),〈資人〉(崇峻即位前紀)のいずれにも〈とねり〉という古訓がつけられているが,それらの名のもとに制度が整っていたかどうかは疑問で,《日本書紀》の編者が,その撰述年代における知識をもって,大化以前の当該記事を修飾したものとされる。 令制以後については673年(天武2)5月,仕官する者をまず大舎人(おおどねり)寮に収容し,その才能を試験したのち適当な職務につかせた。…
…諸官庁の構成のなかで,雑任(ぞうにん)クラスの下級職員は,いずれも番上である。すなわち,中央諸官庁,大宰府,諸国などの史生,中央の伴部,使部,官掌・省掌などの掌類,大舎人・東宮舎人・中宮舎人らの舎人(とねり),兵衛,および親王の公的従者である帳内(ちようない),貴族官僚の公的従者である資人などは,いずれも番上であり,また大宰府や諸国府に勤務した下級職員たちも番上であった。そして式部省に籍を置く散位六位以下は散位寮に番上し,地方諸国の外散位は国府に番上したのであり,国府に番上した下級職員たちとともに外分番ともよばれた。…
※「兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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