台金屋村
だいかなやむら
[現在地名]久世町台金屋
旭川と目木川の合流点に開ける沖積平野の丘陵上緩傾斜地に位置。東は目木村、西は多田村。薬王寺の北には縄文遺跡があり、また当村南境の三崎河原村五反には条里制の遺構・五反廃寺などがあり、早くから開発された地であった。もとは台村と金屋村とに分れていたが(作陽誌)、江戸初期に合併したという。正保郷帳に台金屋村とみえ、田高九三石余・畑高九〇石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高六五石余・開高一九石余。領主の変遷は鍋屋村と同じ。「作陽誌」によれば戸数三五・人数一八七。天保九年(一八三八)の津山藩領郡村記録によれば家数二七・人数九三、牛一五。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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