樫村西谷(読み)かしむらにしだに

日本歴史地名大系 「樫村西谷」の解説

樫村西谷
かしむらにしだに

[現在地名]久世町樫西かしにし

摺鉢すりばち(八七九メートル)井奥いのお(五八三・四メートル)長田ながた(五八四メートル)などの峡谷に端を発する兼秀けんしゆう川・川・山生さんしよう川・皆畑かいはた川を合せた余川沿岸段丘上と支流域に点在する集落からなる山村。北は大平おおなる峠を越えて釘貫小川くぎぬきこがわ(現湯原町)、東は余野下よのしも村・樫村東谷、西は山久世やまくせ(現勝山町)。字山生は戦国時代宇喜多秀家の家臣川端家長の家中川端平兵衛とその弟二人が、徳川氏との戦いで敗れ、元和三年(一六一七)隠遁・帰農して開いた集落といわれる。「作陽誌」に山庄山の記載があり、天正一〇年(一五八二)三月日の羽柴秀吉禁制(美作古簡集)に「作州内 かし村さいしやう小屋」とある。皆畑も三坂みさか山と井奥山に囲まれた谷間にあり、地名は耕地が山の急斜面を開いた畑のみであることに由来するという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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