日本歴史地名大系 「史跡北野廃寺」の解説
史跡北野廃寺
しせききたのはいじ
矢作川中流右岸の標高二五メートルの台地に位置する。古くからこの地に古瓦が出土し、堂塔の基壇・礎石が残存することが知られていたが、大正年間(一九一二―二六)から行われた石田茂作の現地調査によって、中門・塔・金堂・講堂が一直線上に並ぶ四天王寺式伽藍の寺院跡であることが確認された。その後昭和三九年(一九六四)・同五二年の発掘調査によって、僧房の位置、中門と講堂を結ぶ回廊の一部、東西一二四メートル・南北一四七メートルの寺地の周囲に土塁がめぐることなどが明らかにされた。
金堂とともに伽藍の中央に位置する塔跡は、心礎が地表下約一・二メートルから発見されており古式の様相を示し、基壇も金堂基壇に比べて大きく、塔を重視した古い寺院の特徴がうかがわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報