壇上伽藍のほぼ中央に位置する南面の堂。北東に大塔、北西に御影堂がある。現在の建物は一層で、昭和九年(一九三四)の再建。高野全山の本堂である。本尊は阿如来で他の諸像とともに、昭和元年焼失後に造像されたもの。鎌倉時代の「高野山順礼記」によると、内陣の須弥壇には本尊丈六の阿如来像(一説に薬師如来)を中心に、東に金剛薩坐像・普賢延命菩薩立像(ともに高さ八尺五寸)、不動明王坐像(高さ七尺二寸)、弘法大師木像を安置し、西に金剛王菩薩坐像・虚空蔵菩薩立像(ともに高さ八尺五寸)、降三世明王坐像(高さ七尺二寸)、善女竜王画像一鋪が安置されていた。弘法大師木像と善女竜王画像を除く七体は創建当初の像といわれてきたが、昭和元年に焼失した。また内陣の東西には長日供養のための金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を掛け、その前に両壇が置かれる(続風土記)。
〈大和・紀伊寺院神社大事典〉
創建年代は不詳であるが、一山伽藍のうち最初に建立に着手されたと伝える。金剛峯寺建立修行縁起は「三間四面講堂一宇、柱長一丈六尺、奉安置一丈六尺阿如来、八尺五寸四菩薩、七尺二寸不動・降三世・并七躯廿一間僧坊一宇。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
古代仏教伽藍の本尊を安置する主要堂で,後世の本堂にあたる。仏殿ともいわれ,中国,朝鮮では大雄宝殿などとも呼ぶ。金堂の呼名は百済,新羅にあり(《三国遺事》),金人(本尊仏)の堂という表現から生まれたらしい。初期には伽藍の中心部,塔の北に接して置かれた。ふつう金堂は1棟だが,飛鳥寺では塔の3方にあり,川原寺では中金堂のほかに回廊内にも西金堂があった。平城京の興福寺では中金堂院のほかに東金堂院,西金堂院が置かれるなど,複数の金堂をもつ寺もあった。飛鳥・白鳳時代の金堂は正面5間の重層建物が多く,内部に人を入らせない厨子のような性格があった。白鳳時代末から正面性の強い七間堂もでき,両脇に回廊をつけるものも多くなる。堂の平面は大きくないが,柱は太く高く,組物は三手先(みてさき)など複雑なものとし,軒は深い二軒で威容を示した。平城京内の大寺は重層や裳階(もこし)つきとされ,中小寺院では単層の堂とした。塔が離れて置かれるようになると金堂は横長に大きくなり,伽藍の中心的存在となる。日本で現存する最古の金堂は法隆寺金堂で,東大寺大金堂(大仏殿)は,奈良時代には正面88m,高さ47mで史上最大の金堂であった。
→伽藍配置
執筆者:沢村 仁
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