吉川治太夫(読み)よしかわ じだゆう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉川治太夫」の解説

吉川治太夫 よしかわ-じだゆう

1810*-1863 江戸時代後期の武士
文化6年12月25日生まれ。伊勢(いせ)(三重県)神戸(かんべ)藩士。藩校教倫堂の教授などをへて,文久元年河内(かわち)(大阪府)錦部郡長野の代官となる。天誅(てんちゅう)組が結成されると,軍資金の一部を代官所からひきだして支援した。その責任を負い,文久3年9月3日自刃(じじん)した。55歳。名は祇徳。字(あざな)は子穆。号は存々庵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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