吉正城跡(読み)よしまさじようあと

日本歴史地名大系 「吉正城跡」の解説

吉正城跡
よしまさじようあと

[現在地名]奈義町中島西

たき川右岸の吉政よしまさにある中世の山城。当地を丸山まるやまという。「東作誌」に本丸東西二一間・南北二五間とあり、土居は畑に変じ、東は川、西は山、南北は谷田大沼という。伊予河野家一族の桑村通之が流れてここに築城したと伝え、「美作太平記」によると菅家一族の有元氏が扶助したという。次いで子の与七兵衛、孫の右衛門が城主となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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