日本歴史地名大系 「吉永庄」の解説 吉永庄よしながのしよう 山口県:豊浦郡豊浦町吉永村吉永庄豊浦町大字吉永付近を荘域とする長門一宮住吉(すみよし)神社(現下関市)の社領。平家追討のため長門に下った源範頼は、源氏勝利を祈祷する料所として、文治元年(一一八五)吉永別符荒熟田畠三〇町を住吉神社に寄進した(「源範頼下文案」長門一宮住吉神社文書)。<資料は省略されています>四至の東限に「美禰郡也」と別筆で記されているが、これは誤りと思われ、東限の峰は、鬼(おに)ヶ城(じよう)山から笠(かさ)ヶ岳を結ぶ稜線、北限の「河棚堺」は法事(ほうじ)川、西限は海、南限の大池については不明である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報