日本歴史地名大系 「吉永町」の解説 吉永町よしながちよう 岡山県:和気郡吉永町面積:八八・二九平方キロ県の東部、旧備前国の北東端に位置し、東は兵庫県佐用(さよう)郡上月(こうづき)町、同赤穂(あこう)郡上郡(かみごおり)町、南は備前市、西は和気町、北は英田(あいだ)郡英田町・作東(さくとう)町に接する。町域は北部の八塔寺(はつとうじ)山(五三八・六メートル)に発して南流する八塔寺川(一八・二キロ)水系に沿って広がるため、南北に細長い形となっている。八塔寺川と西流する金剛(こんごう)川とが合流する吉永中(よしながなか)付近は比較的広い平野となっているが、ほかは川沿いのいわゆる谷底平野を形成している。町の中北部は三〇〇―四〇〇メートル級の山々が連なる。 吉永町よしながちよう 東京都:江東区旧深川区地区吉永町[現在地名]江東区平野(ひらの)三―四丁目仙台(せんだい)堀北岸の町屋で、深川築地二四ヵ町の一。深川吉永(ふかがわよしなが)町とも称した。南を除く三方を枝川で囲まれ、枝川を挟んで北は三好(みよし)町、西は東平野(ひがしひらの)町・山本(やまもと)町、東は久永(ひさなが)町一丁目。文政町方書上によると、元禄一四年(一七〇一)九月吉田屋藤八・伏見屋亀之助・吉田屋久蔵・伊丹屋虎市・伊勢屋四郎右衛門・小島屋藤七の六名が河岸地とともに買請けて町場となった。同一六年には町名が吉永町となり、正徳三年(一七一三)代官支配から町奉行支配となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by