吉田善吾(読み)ヨシダ ゼンゴ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「吉田善吾」の解説

吉田 善吾
ヨシダ ゼンゴ


肩書
海相

生年月日
明治18年2月4日

出生地
佐賀県

学歴
海兵(第32期)〔明治37年〕卒 海大〔大正4年〕卒

経歴
海兵では後の連合艦隊司令長官山本五十六同期。大正4年第3艦隊参謀をふり出しに、教育局、軍務局、軍令部の課長班長を経て昭和6年連合艦隊参謀、8年軍務局長となる。日中戦争開始後は第2艦隊長官、連合艦隊長官を務め、14年阿部内閣の海相に就任米内・近衛両内閣でも海相として日独伊の三国同盟には最後まで反対。その後は軍事参議官、支那方面艦隊長官、海大校長などを歴任した。

没年月日
昭和41年11月14日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「吉田善吾」の解説

吉田 善吾
ヨシダ ゼンゴ

明治〜昭和期の海軍大将 海相。



生年
明治18(1885)年2月4日

没年
昭和41(1966)年11月14日

出生地
佐賀県

学歴〔年〕
海兵(第32期)〔明治37年〕卒,海大〔大正4年〕卒

経歴
海兵では後の連合艦隊司令長官、山本五十六と同期。大正4年第3艦隊参謀をふり出しに、教育局、軍務局、軍令部の課長、班長を経て昭和6年連合艦隊参謀、8年軍務局長となる。日中戦争開始後は第2艦隊長官、連合艦隊長官を務め、14年阿部内閣の海相に就任。米内・近衛両内閣でも海相として日独伊の三国同盟には最後まで反対。その後は軍事参議官、支那方面艦隊長官、海大校長などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田善吾」の解説

吉田善吾 よしだ-ぜんご

1885-1966 大正-昭和時代前期の軍人
明治18年2月4日生まれ。海軍省軍務局長をへて,昭和12年連合艦隊司令長官。14年阿部内閣の海相となり,米内・第2次近衛内閣に留任するが,日独伊三国同盟に消極的で辞職。のち支那方面艦隊司令長官,軍事参議官,海軍大学校校長など。大将。昭和41年11月14日死去。81歳。佐賀県出身。海軍大学校卒。旧姓は峰。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「吉田善吾」の解説

吉田 善吾 (よしだ ぜんご)

生年月日:1885年2月4日
明治時代-昭和時代の海軍軍人
1966年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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